Tuesday, April 24, 2018

バイクに乗るのがうまくなりたい

もう20年以上前からバイクに乗るのがうまくなりたくて必死だった。
だった、というより今もその気持ちは全然変わらない。
だから修行チックに練習する気持ちはそれほどないんだけど、つい一所懸命走っちゃう。

うまい方がカッコいいし、なによりバイクに乗るのが楽しいじゃん。
こないだ某編集長に「だってもっとカッコ良くなりたいじゃん」って言ったら
「えー?まだカッコ良くなりたいの?」って嘲笑気味に驚かれたけど、僕はそれを聞いてさらにビックリした。カッコ良くなるって誰との勝負でもない自分との戦いじゃん。
この人はその勝負をすでに放棄してるのか!?
もうカッコ良くならなくていいのか!ってね。

でもね、彼を弁護する訳じゃないけど、人はきっと色恋だとかカッコいいとか悪いとか、そう言うものから解脱してからが、ホントの芸術や精神世界に入れるのかも知れないとも思う。
かのリリー・フランキーも昔「早くインポになって色恋だとかを超越した芸術をやりたい」って書いてたし、カッコいいなんて小さいことだよ君。って言いたい気持ちもわかる。
でもさ、バイク乗るならうまい方がいいし、もう放っておくとどんどん下手になる年齢にさしかかってるんだ。オラァ50歳だぜ実際。過去の遺産だけでは現状を維持出来ない。
筋トレしないと腹だけが育って来ちゃうし、バイクの技量も落ちて来ちゃう。

技量と言えば僕のバイクは下手の横好き、周りにはいつもトップレベルのライダーやその友達がいたから、走りに行けばいつも自分が一番下手クソだし、そう言うものだと思ってた。
林道やコースでも速いヤツはあっという間に見えなくなるし、川渡りでも華麗にフロントを上げてさっと渡るんだ、僕はそういうカッコいい姿に憧れ続けている。
それに、勘がよくて運動神経のいいやつはすぐうまくなる。

でもね、クラスで一番ボール投げが不得意でも、足が速くなくても、たくさん乗ったらその分は絶対うまくなる。
少なくとも経験値と技術が上がると走れるスピードは速くなるし、純粋に走ることそのものを楽しめるようになる。

身体に覚え込ませたら、とっさに対応出来ることも増えて来る。
頭で考えてたら間に合わないとっさの動きってあるじゃん。

例えばツルツルの泥っぽい斜面や、路側の白いコンクリートや白線にフロントが乗ってる時、軽くフロントブレーキ握ったらフロントタイヤがいきなりグリップを失ってあっ転ぶ!みたいな時。
どうしたら転ばないかと言えばフロントブレーキを瞬間で緩めてタイヤのグリップを回復させるんだ。
これは頭でわかっていても、転ぶまでのコンマ数秒で考えていたらもう間に合わない。
何度もそういう目に遭って身体が反射的に本能に逆らう動きが出来るようにならないとね。
バイクは理屈で走っても速度がゆっくりなら、かなりの難所も越えられるようになるけど、速く走るならライダーの反応も早くなきゃいけない。
石が崩れた斜めの斜面をトラバースするような状況がいきなり目の前に現われたら?
幅は1メートルくらいなのに深さが4メートルくらいの谷が現われたら?
速くなりたけりゃうまい人とたくさん走るのがいいと思う。

自分よりうまいやつ、速いヤツに追い越されて「クソッ!」って思ったら、それこそがうまくなるチャンスなんだ。
もちろん最後は自分との勝負だと思うけど、目に見える前を走ってるやつは最高のライバル。レース中に追いつくってことはそいつより自分が確実に速いってことだから、
あとは追い越すテクニックを使うとか、静かにプレッシャーをかけてミスするのを待つとか、なんだか話がこんがらがって来たけど、ともかくいつまでもカッコ良くなりたいし楽しくバイクに乗り続けたい煩悩の塊なんだ。
芸術は多分もう無理だな…






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